
あらいくまたんです。 《^=・(⊥)・=^》
夏休みあけに英語ビブリオバトルで決勝まで行けたピヨ子でした。
本選びに迷う
原稿書きに苦労
『はてしない物語』発表原稿公開!
バスチアン・バルタザール・ブックスは、ある雨の日の朝、いじめっ子たちに追われてある古本屋にかけこみました。
店の主コレアンダー氏は、一冊の本を読んでいました。
バスチアンが無愛想なコレアンダー氏と話していたその時、電話が鳴りました。
受話器を取ろうとコレアンダー氏が隣の部屋へ向かいます。
その隙に、バスチアンはその本を盗みました。
学校の屋根裏の物置に隠れ、バスチアンは盗んだ本を取り出します。
なかは二色刷りになっていて、挿絵はないが章のはじめには大きな飾り文字があり、赤い絹の表紙に、一風変わった飾り文字で題名が書かれています。
「はてしない物語」と。
今まさに私が紹介しようとしている本を、彼はそこで読み始めたのです。
物語の舞台、ファンタージエン国では、女王幼ごころの君が重い病気にかかっていました。
彼女が旅に出したアトレーユという少年は、治すには新しい名前が必要で、それを授けられる者は人間だけ、ファンタージエン国にはいないということを、途方もなく長い旅の中で知ります。
その様子を全て読んでいたバスチアンが、ひらめいた新しい名前を口にすると、次の瞬間、バスチアンはファンタージエン国にいました。
幼ごころの君に新しい名を授けてファンタージエン国に来た人間は、望みを全てかなえることができますが、その代償に自分の記憶を失っていきます。
強さが欲しいという望みがかなうと、過去に自分は弱かったのだという記憶がなくなる、といった具合です。
そうしてたくさんの望みをかなえ、たくさんの記憶をなくしながらも、最終的には自分の本当の望みをみつけ、バスチアンは人間界へ帰ります。
私はここで、ハッとさせられました。
願いが叶ってうれしいのは、まだ願いが叶っていなかった時の記憶があるからで、どんなに幸せになっても、過去を覚えていなければそれを感じることもできなくなってしまう、と気付かされたからです。
本当の望みを見つけるためには、自分自身と向き合う必要があります。
記憶を失ってはじめて、「自分は何者なのか」「なにがしたいのか」という問いが生まれて、本当の望みに近づくことができるのではないかと思います。
さて、ここまで聞いているみなさんの多くは、この物語は「ファンタージエン国という『空想上の』国での物語だ」と思っていて、本当のことだと信じてはいないでしょう。
幼ごころの君が病気だった時、ファンタージエンのあちこちでは「虚無」が広がっていました。
それはだんだんと大きくなり、周りの物を飲み込んでいきます。
体が飲み込まれてしまえば、その部分が存在しなくなり、そのほうに目をやると、急に盲目になったように、そこには何も見えません。
人狼のグモルクによれば、「虚無」に飲み込まれたファンタージエンの生き物は、人間界へ来て人間の頭の中の妄想になり、人間を疑心暗鬼にしたり、自分の身を滅ぼすものを欲しがるようにさせたり、絶望する理由もないのに絶望させたりするようになるのだそうです。
そして、それを恐れた人間たちが、「ファンタージエンなどない」と言い張り、幼ごころの君に新しい名前を授ける者がいなくなって、またファンタージエンに虚無が広がる、という悪循環にはまるのです。
今この世の中で起きている様々な犯罪、戦争のもとになっているものが、ファンタージエンで虚無に飲み込まれた者たちのせいだと考えてみると、どうでしょう。
私が紹介するこの物語を「ただのファンタジー物語」で片づけてしまう人が大勢いる状況で、誰が幼ごころの君に新しい名前を授けるのでしょうか。
誰が虚無の侵食を止めてくれるのでしょうか。
そんな人はきっといないでしょう。
もし仮にいたとしても、人間界に戻ってきたその人の話を本当に信じて聴くことのできる人がどれくらいいるのでしょうか。
私は、これは一種の警告なのではないかと思います。
物語を「ただの物語」と片付けてしまう想像力の無い人が増え、犯罪や戦争、汚職事件や誹謗中傷など、良くない出来事が次々に起こる現代社会への警告です。
人間界へ戻ってきたバスチアンは、勇敢さや自信、責任感など、実に多くのものを身に付けていました。
本を盗んだことがばれないよう屋根裏の物置に隠れた以前の臆病さはすっかり消え、自分から古本屋に出向きコレアンダー氏に謝罪します。
私も、望みとはなにか、なにが善でなにが悪なのか、幸せとはなにかなど、とても多くのことを考えさせられました。
まだまだ未熟で成長途中の私たちだからこそ、この「はてしない物語」を読んでファンタージエン国を訪れるべきなのではないでしょうか。



