フラッシュバック第四話
何となく始めた泳ぎの練習を終えたある晩、寝る前にボーッとしていたら、「泳ぎも少し速くなったなぁ。リヤルやウオンに見せたら驚くだろうな」という考えが浮かんできた。二人はもう楽しいことなんてないし、そもそもここで暮らすことすらできないのに、自分だけ楽しく生きていいのかと思うと、重いショックが襲ってきた。やっとの思いで寝た後に、変な夢を見た。
目を開けると、ぼんやりとした姿のリヤルとウオンがそこにいて、
「うちらのことは、もう忘れて大丈夫よー」
「短い人生なんですから、思いっきり楽しんでください」
と言ってどこかへ泳いで行こうとした。会えて嬉しくて、待って欲しくてリヤルに触れたとき、リヤルの思いが声になって押し寄せてきた。
「ウォンがニンゲンがどれくらい残酷な奴らなのかもっと詳しく教えてくれたら、死ぬって言うのがどういうことでどんな時に起こるのか教えてくれていたら、あの時逃げられたかもしれないのに」
「ナナッシーだって、私が怪我してもいつもみたいにボーッとしてて心配すらしてくれなかったし」
「私だけあんなに苦しませて、二人ともずるいよ」
びっくりして、ウオンなら僕の気持ちを分かってくれると思って触れたとき、ウオンの思いもまた、同じように押し寄せてきた。
「リヤルさん、なんで僕の言うことを聞かずに勝手に泳いで行くんですか」
「僕はいつもみなさんを助けているのに、ナナシさんはあのとき僕を手伝ってくれませんでした」
「ナナシさんだけ、何もしないで生き残るなんてずるいです」
二人と目が合うと、その顔には憎しみと怒りが溢れ出ていて、悲しくて目をそらしたそのとき、『網』が上から襲ってきて僕を捕らえた。小さいままのリヤルとウオンは糸の間をすり抜けて出ていったのに、僕は体に絡まって出ることができない。水の流れが急に変わったのに気づいて後ろを見たら、ブラックバスが口を開けて僕を飲み込もうとしていた。いくつもの銀の空気の玉に映った自分の顔は何だかどす黒くて、二人が僕を嫌っていたのも、自分がこのまま死んでしまいそうなのも哀しくて、僕は動けなくなってしまった。
「うぅ……。あぁ、夢か」
まだ日が上るには早い時間に目が覚めた。それでもリヤルとウオンの声がよみがえって、やり場のない哀しみが胸に広がった。やっぱり僕は仲良くされるような価値はなかったんだ、やっぱり二人は僕を思ってなんかいなかったんだ……、と。
ふと上を見ると、水面に映っていたのは僕ではない、知らない『誰か』の顔で、心なしかリヤルやウオンに少し似ている気がした。その『誰か』が口を動かして、どこともつかないところから声が響いた。
「たしかにあんなこと、思ったこともあったけれど」
「君には自分の人生を真っ直ぐに生きてほしい」
水面が小さく揺れ、僕の視界もぐにゃりと歪んで、『誰か』は見えなくなった。僕の心に溢れてきたのは言葉にならない「ありがとう」で、その言葉は僕に、細いけれど強い光をくれた。
いつの間にか朝日の淡い金色の光が、石の隙間に斜めに差し込んでいた。
眩しい朝の光で目を覚ました。ブラックバス事件から日も経ち、僕は泣くことを忘れた。ハミという泳ぎの速い女の友達もできて、ただひたすらに速く泳ぐ練習をする日々。
度重なる悲劇のせいで群れの仲間は何匹も空へ旅立っていき、残ったのはわずか八匹ほどだった。
ハミは物静かな子で、ほとんど話すことはなかったけれど、時々僕がボーッとしておかしなことを言ったときなんかに、クスリと笑ってくれた。笑う顔は木漏れ日のようで、とても優しげだった。僕が哀しみから立ち直れなかったときも黙って横に居てくれて、その小さな気遣いが僕を救ってくれた気がする。
泳ぎも速くなってきた。単調だけれど、静かで満足できる生活を、今僕は送っている。
近頃、友達の死で泣くメダカがいなくなった。僕も涙を流さなくなった。この川で生きている限り、死はその辺りに転がっているものなのだという現実がわかってしまった。僕らは多分、だいぶ大人になったんだろう。